悩みのタネがあちこちか

今、また悩みをかかえている。
一つは、身体のトラブル、悩み。
医者嫌いなわたしは、困りもの。
とことん我慢してしまう。
毎日、瞬間瞬間、瞬時瞬時、痛みとの闘い。


「はやく診てもらえ」なんだけど。
痛みがほんの少しマシになっているような気がして、足が向かない加拿大新移民


さて。
大きなタスク(わたしにとって)が終了すると、(身体の痛みとは別に)またまた新しく悩みのタネがあちこちから。
こころの悩み。
一つ終われば、また一つ。
モグラ叩きゲーム。
こうやって退屈せずに、一生、終わるのか。


かつて仕事でご一緒したことのある、ある女性カメラマン。
ぽつりと言ったことが印象に残る輸入內地人才計劃


「ある晴れた日、暴力団の流れ弾に当たって突然、息を引き取りたい」
恐怖も苦痛も、自分の身に何が起きているのかもわからない状態で。
この一瞬の、自分に降りかかったことが全く理解できない出来事でこの世を去るのは、私も理想ではないかと思ったりする。
魂はまだ現場に残っているかも知れない。
ただ、暴力団の流れ弾は「無駄死に」っぽいし、罪のない市民を巻き添えにするのはもってのほかだし、家族(遺族)にとっても悔いが残る。
まだ前途洋々の若い人なら、悲しいことだ。
同じなら保障金が降りるほうがまだマシとは言っても、飛行機事故など、考えただけで恐ろしい。
人生は計算通りにはいかない東京不動產
予定通りには進まない。


とりあえず、身体の痛み、少しでも和らいでいたらいいなあ、、、と、今日の願いはそれぐらいかと。

のひとつも言いたく

趣味関係の人、Aさんから、「テキスト勉強できましたか?」と催促され、疲労はピークに。
Aさんは自分の全ての時間を自分に使える人。
わたしは、そうではない尖沙咀活動場地
なので、趣味にかける熱意が不足しているかのごとく叱咤激励される、、、が、、、
わたしは、アナタ(Aさん)とは違うわけで。
無職の人は自由で結構ですねー、と、思わず皮肉のひとつも言いたくなる。(言わないけれど)
自分のことしかしなくていい人はいいですねー、と、憎まれ口のひとつも言いたくなる。(言わないけれど)


わたしは、子守りもするし、食事支度もするし、家事もする。
何にもしなくていい人は、ほんと、羨ましい?、、、というか、ほんとは羨ましくはないのだが。


自分以外のことに費やす時間は、それも愛する時間なのだ。
自分が大切にしているもの、コトにかける、情熱の発露でもある。
楽しいばかりではなくても、疲労を伴っても、自分が能動的に選択して(選び取り)行動している英國讀書
きっと生き甲斐のひとつなんだろう。
生き甲斐を維持するのには手間暇や苦労も伴う。
そういうもの、コトは、人それぞれ。
関わり方は、人それぞれ。温度差はある。


役に立てる時に役に立っておかないと、全くわたしは役に立つ機会がない。
なので、求められたら動く。
求められなければ、動かない。
しんどくても、結果的に意図せず孫たちと距離が縮まることがある。
孫と仲良くなろうとして頑張って愛そうと躍起になるのではなく、お手伝いとして頑張ったら、たまたま孫たちと思い出時間を作ることになった、、、というかんじ。


目的と結果移民PEI
わたしは結構、その順序を気にする。
例えば、好かれようとして頑張るのではなく、頑張ったら結果的に好かれた、のような。
人に親切にするのは感謝されたいから、とかではなく。
評価を得ようとするのが目的ではなく、自分で決めて行動したら、たまたまそれが後になって評価された、、、のような。
自分軸で動いたら、周りが動いた、、、のような。
周りに影響を与えようとして意図して動くのではなく、信念を持って行動したら、知らないところで影響を受ける人がいた、みたいな。


他人にこうしてほしい、と望むのではなく、自分がしたいことをしていたら(したくないことでも我慢して信念をもって行動していたら)、結果的に他人を動かすことになった、事態が動いた、、、のような。


さっきから同じようなことを何度も重複して書いている。(言いたいことが、ちゃんと表現できていないような、もどかしさ故)
なにしろ、わたしは自分軸でしか動かないことにしている。


人生も終わりのほうに差し掛かると、自分は何がしたいのか、何がしたくないのか、自ずと分かってくる。
いつまで経っても、いったい自分は何がしたいのかわからない、という人もいる。
それこそ、人それぞれ。
強制されて、ではなく、自主的に、自発的に、自分がしたいことが出来ることは、わたしは最高に幸せを感じる。
自分が何をしたいのか、自覚していなければ、幸せも感じられないと思う。
だが、命令されたり、断りきれずに、だとしても、偶然、予期しない道が拓けることもある。
未知のアクシデントが自分を導くこともある。
自分を楽しませるのは自分。


少々シンドイことでも、自分が決めて選んで能動的に行動する、そういう分野を持っていること、時間をかけて作り上げてきた自分。
生き甲斐とは、、、楽しいだけではなく、苦しみもあるから、より深く強くなる。
かと言って、しがみつく、執着は良くない。
その時点、その時点で燃焼できるのが理想だ。
が、生身の人間には、なかなかサジ加減が難しい。

入らないところに自分が

で。
わたしの解決法は、、、。
その人に近寄らないこと。
人は人。
だが、近くにいると気にするなといっても、気になる婦科檢查中心
だから、相手にあっちに行け!と言っても自分本位、身勝手過ぎるので、目に入らないところに自分が遠ざかる。
そうやって、こころを鎮めた。
逃げるが勝ち。
(これはちょっと意味が違うか。
勝って逃げる場合に使ったりする?
いや、勝てない場合に逃げる?)


今回もその方法を取る。
そして、神様からの援軍があった。
ものすごく力になる通淋巴按摩
救われた。
わたしって、よほど日頃の行いが良いのかしらん??
いや、対策を講じるのが遅すぎる、、、。
もっと早くから対処すべき。
ぐずぐずしている時間の分、自分の領土が減り、疲弊した。
お尻に火が着いても動かないタイプであるわたしは、本当に困りモンである。
さすがに、心臓を頂きます、と事態が深刻になると、腎臓ならどうぞ、でも心臓はやめてね、となる。
腎臓の前に、盲腸ぐらいはあげている。(元々要らない)
とかなんとか、打たれ強いわたしではあるものの、けっこう傷ついたが、たいした学習にはならず、全力で撤退することにした孕婦按摩
負け戦である。
でも、命まで取られないから大丈夫。
傷が深くなる前に、神様からの援軍にしがみつくことにした。