は助手席に座るのは遠慮

トラブルが起きてから免許返上するのではなく、車でなくても行動できる方法を先に考えたほうが良いと思う。
(地域によっては、車がないと生活出来ない状況がある。
が、都会で引き起こされる交通事故とはまた違う)


わたしが暮らしている生活圏においては、車がなくても、公共交通機関を使えばどうにかなる。
どうしても車でしか行けないところは、工夫するか、やめるか、である。
緊急ののっぴきならない場合はタクシー利用もあり得る。
援助の手がない、経済的にも苦しい人は、行政機関に相談し、尚、改善出来ない場合は、どうすればよい?
いざという時の身内が近くにいる人は、それでもそろそろ車の運転は見合わせたほうが良い。
高齢になり車の運転があやしくなった母の場合、姉が母の車を売り払ったので、強制的に運転出来なくなった。
身内でもないと、そんなことは出来ない。
が、どんなに車の運転が上手な人であっても、高齢ドライバーの場合、わたしは助手席に座るのは遠慮したい。
知人の高齢の方は、歩くのが嫌いで、前は近所のスーパーに歩いて行っていたが今は車で行くそうだ。
それは、逆にしたほうがよいと思う。
車をやめて、歩いて行く。
必要であれば、嫌でも歩く。
だが、身内でもない人にそんな忠告はお節介だろうと思い、何もわたしは口に出さない。
身内も忠告しているのかも知れないし。


足、腰が悪い、痛い、だから、歩くのは避けて車を使う。
これは悪循環だが、仕方ないのか。
車を使わず、歩くのも嫌、となると、家から出ない。
そうやって、徐々に老いのソフトランディングか。


わたしの周りの人たちを見ていると、そういう流れが多い。
わたしも、いずれそうなる。


車で出かけたい、外の世界を楽しみたい高齢ドライバーさんとは、しかしながら、今後は、わたしとしては、ドライブ同行は控えたい。
つまり、距離を置きたい。
ということは、やはり自分の年齢や心身能力に合った人と交流することが、しっくりいく。

めてスマホをいじってい

とまあそれは良いとして。
姑の、年代の書かれていない5年連記の日記、挟まれている表などで、だいたいおよその年月はわかる。
が、最初のハードカバーの表紙から1ページめくっただけで、読むのをやめた。
よほど暇が有り余って何もすることがない時に少し読んでもよいが脫毛、、、。
今のところ、そんな余裕も気力もない。
読み解いて時代小説の題材にでもするのなら別だが。
体力もやる気もない。


わたしがいずれ、完全引退して引き篭もったら小説でも書きたいという、淡い希望があるが、すでに諦めている。
ではあるものの、一歩も外出しない、くたくたの、白髪の老婆おばあさんになって、一心不乱に小説を書くなんて、なんかシビれる。
自分の執筆部屋を想定したわけではないが、僅かながら徐々に、好みの設えにしようとしている。
時代ものの日本家屋に、わたしの実家から運び込んだ家具など、少しずつ加えられ、イメージが膨らむ。
だが、神戸の異人館内部や、作家の執筆部屋の展示にインスパイアされているだけで、実際には、快適な最新マイルームで背中を丸めてスマホをいじっていそうだが袪斑


小説を書いている自分をうっとり想像しているだけであって、実際には気力や精神力、知力のいるものは、憧れだけに留まる。
大谷翔平が発するチームメイトへの鼓舞ではないので、わたしは憧れを超えなくてもよい。


と、正月4日。
遅れて年賀状が1通届いた。
昨今はわたしは年賀状は書かない主義で、先方から来た年賀状に対してだけ、返信の年賀状を出すことにしている。
昨日、来た年賀状の返事を書いて、夜、投函したばかり。
遅刻は困る。
返信のほとんどは、夫の業務挨拶兼用、お年玉くじ付き印刷済み年賀状をもらって、自分の名前を夫の横に無理矢理添える。
ただし、コメントはたっぷり書ける。
印刷された年賀状は、印刷部分は大概はもらった人は読まないから、手書き追加部分だけ個人宛てにメッセージが伝わるMediLASE價錢
が、あまりにも夫業務・便乗年賀状では良くない人には、お年玉ハガキではない普通ハガキに手作りした。
そこに、1通だけまたチャチな幼児風、手作りで書くのが、めんどくさい。
それに、皆さんからはお年玉ハガキではない普通ハガキ年賀状は、1通も届いていない。
ではあるものの、今は郵便ハガキではなく、LINE年賀挨拶も少なくない。


と、だらだら独り言タイム。
ブログ作成と同時進行に、どんどんLINEの伝達やり取りが入り、行ったり来たりして、話がまとまらない。
今年はなんとなくわたしの転換期になるような気がする。

が求める能力を持って

顧問税理士K。
ある例会で、税理とは全く違う話になった。
少子化を食い止める策を力説する。


一夫一妻制が良くないのだと加拿大留學移民
一人の力のある男性に多数の女性。
アフリカを例に取る。
未婚の若い10代女性が望む結婚相手は、牛30頭持っている男性。
たくさんもっている男性は、たくさんの女性、子供を囲う。


女性は優秀なDNAを残そうとする。
男性の魅力は経済力だったり、運動能力だったり、戦闘能力だったり、女性が求める能力を持っている。


一人の能力が高い男性を父親にして、それぞれの女性が子供を産む。
父親は、責任をもって、それぞれの子供の養育費を支払う香港專才申請條件
そうすれば、どんどん子供は増える、と。
キリスト教の影響色濃い、一夫一妻以外、婚外は不倫で背徳であるという道徳観を排除すべきだ、と。
どうせ恋愛感情なんか3年もすれば冷めて、次に移り、また冷めて、また移り、次々延々と繰り返す。
次々に子供が生まれる度に養育費を払い、子供を増やしていけばよい、らしい。


しかし、現実的に考えると、
男性が死んだらどうする?
多額の養育費を払ってないまま。
税理士Kは、多額の保険をかけているから分配すればいい、と言う。
誰が分ける?
実務的な仕組みは?


まだ詳細は詰めていないようだが、なにしろ、不倫を糾弾する世論がダメだそうだ。
深読みしてみると、
彼の私生活で、複数の女性をどう納得させようかと考えてのことではなかろうか。
女性たちを説得するためには、魅力ある力ある男性には、複数の女性がいてもいいではないか、と。
男女不公平になってはいけないので、魅力ある、力ある女性も複数の男性がいてもいい、と付け加えていた。
力もないくせに、不貞を働くから叩かれるのだそうだ香港投資移民條件
力があれば、不倫は不倫ではない説を例会お開き時間が来ても延々と訴えるK税理士。


色々議論の余地はあったが、不毛と見なされ、司会者がうんざりして強制閉会と相成った。


彼自身の自己肯定、自己満足に付き合わされただけの時間となった。
わたしは面白かったけど。